不幸になりたい呪い

私は22歳の女。絵を描くことだけが取り柄だ。

最近きづいたことがある。私は幸せになりたい。幸せになりたいとおもっているのに、不幸になりたがっている。

普通の人が羨ましい。

この世はすごく生きづらい。

まあそんな出だしからはじめてしまったが、要するにぬるい人生を不幸だと思ってしまい、その原因を作った環境を恨んでいるが愚痴りたくても愚痴れないので誰かに聞いて欲しくてこの文を書き始めただけだ。

これから先もどうぞ暇つぶしに読んでほしい。

自分が不幸になることで母親に復讐しようとしていることに気づいたのは20歳そこそこだった。気づいた時はなんてバカバカしくて、くだらなくて、しんどくて、苦しい呪いなんだろうと泣いた。1年と数ヶ月経つのにこの呪いからぬけだせないでいる。私には自己肯定感がない。だから今まで私には○○する資格はないと思い込んで生きてきた。

母親の記憶はひどいものしか思い出せない。

母は専業主婦かつネットの住人で、いつもソーシャルゲームをしながらSkypeで楽しそうに話していた。賃貸なのでリビングに父と母のそれぞれのパソコンがあり、テレビもソファーも食卓も同じ部屋にあった。母はmixiやニコ動にゲーム(艦コレとかマビノギ、マイクラもやってたしPSP系も)、SkypeTwitterと手広くやっていた時期もある。余談だが1度こっそりアカウント名をみてエゴサした。

母がSkypeで話している最中は、私と妹は静かにしてろとテレビの音さえ出すことは許されなかった。だんだん音を出しても良くなっていったが…。母は私のことは「姪っ子」と称してSkypeの向こうの人に紹介していて、モヤモヤしながらもそこをつつけばめんどくさい事になるのは目に見えていたのでスルーした。楽しそうに話していたと思えば、毎晩寝る前に、今度は物置部屋でコソコソと泣きながら電話をしていた時期もあった。物置部屋に消えてく母を見て見ぬフリをしながら浮気なんだろうなと考えていた。

まあお察しの通り、母は自分の思い通りにならないとすぐに不機嫌になる人でめんどくさい事にならないように機嫌をうかがっていたものだ。しかし母は外面だけはめっっっちゃくちゃよくて、先生とかにも評判は悪くなかった。

お金をかけてもらったことには感謝しているが、育ててもらったという認識ではない。

私が小学校低学年のころから両親は不仲で、まともに口はきかない。父は無口でちょっと変わっている。父が悪かったのかもしれないが、母が一方的かつ永遠と父のことを嫌っているようだ。そこはごく普通の両親不仲と当たり障りない気がする。

父は家の中では肩身の狭い扱いを受けていた。母に目の敵にされ、二人の会話は主に妹を通じて伝言ゲーム。母と私と妹の3人だけで遊びに出かけたり、旅行に行ったりはしょっちゅうあった。私はお金だけを工面してもらっているようで父に申し訳なくてまともにしゃべれなかった。しゃべる時は緊張していた。そんなこともあり、父のことは「お父さん」というより同居している男の人という感覚だった。

私はと言えば、社交的なコミュ障だった。広く、浅く、人と深く関わることを避けてのらりくらりと生きてきた。外面がいい母をみていたので…高校までは立派な優等生だった。

転勤族だったため転園や転校を数回繰り返していた。卒園と入学を果たした土地では性犯罪に巻き込まれたりして、今でも苦しくはないが思い返してしまうことはある。まあでもそれは大したことじゃない。

コミュ障になったきっかけは、前の学校ではお山の大将をしていたのに、転校した先で男子にボコボコにされたこと。あといじめられてた気がすること。私は当時泣いたり苦しかった記憶はあるのだが母いわく「嫌がらせのターゲットにされていたが、気づかないのでターゲットから外された」らしい。いや両津勘吉みたいな繋がってる眉毛だって言われて眉毛剃り落としましたけど。苦しかったのに誰にも相談してなくて平気だったことになってしまっていた。私は周りの空気を読むということを覚えて、誰にも嫌われないように振る舞うようになっていった。

あと、めちゃくちゃ嘘つきだった。嘘をついて、誰かの気を引きたかった。でも中学校1年生のテストで嘘をついて採点ミスだと申告したことがあって、それで先生に問いつめられて泣いた時にもう懲りた…。そこからは模範的な生徒になった笑

中学生で、インターネットに絵をアップロードすることを覚えてしまってから私の人生はまた変わった気がする。実は私は母に褒められた記憶がない。なんせ優等生(笑)だったので体育以外オール5とかだった。生徒会長とかもやったし絵や習字で賞を貰ってはいたけど、まともによしよしされたことはない。だってSkypeで楽しそうに話してる邪魔したらいかんもんね。その当時は褒められないことを気にとめた事は無かった、自分の将来のためにたと思ってオール5とっていたので。ただ大学生になって、自分やりたいことのために学ぶ場というものに立たされた時に、やりたいことや自分の望みが何も無くて、虚無感しかなかった時に気づいてしまった。結局優等生をしていたのも、いい成績とっていたのも、そうすれば母の機嫌も損ねず面倒なことをとやかく言われず済んだからだった。ずっと誰かの顔色を伺って生きていた。

「いいこ」ってなんなんだろうな…手のかからない良い子?都合の良い子?私は、どうでもいい子になってしまった。

そんなこんなで褒められる経験もないま、インターネットでのチヤホヤされる快感を覚えてしまったので、どっぷりと依存していった。今ではこんな無価値の自分のために頑張るより、インターネットでチヤホヤしてもらうことを優先してしまう。

また余談だが、反抗期が高三できて怒り泣き狂う母を無視して「今テレビ見てるからあとにして」とテレビ見ながらわらってたり、無音のお絵描きキャスを配信する後ろで両親が大喧嘩してたりと色々狂ってた。

思えば誰かの気を引きたかったのも、嫌われたくないのも、褒められたいのも「母に認められたかった」という願望を引きずっている。

今更認められても、もう素直に受け止められないのだが笑

母にこんなに苦しめられたわたしが、なぜ幸せになれるのか。セルフネグレクトをして、不幸になった私を見せつけて、お前の育てかたは間違っていたのだと思わせたいのか。

バカバカしくて、くだらなくて、しんどくて、苦しくて、私の中の子供の私がずっと悲鳴をあげている。私はそれに構って、大人になれないでいる。

幸せになりたいのに、不幸になりたい呪いにかかっている。